「困難な日も、こんなんな日も」がはじまります

「困難な日も、こんなんな日も」がはじまります
〜わたしの更年期×うつ体験から〜
はじめまして。おはこんばんちは(……この挨拶で気づいてくださる方、いたらうれしいです)。
「困難な日も、こんなんな日も」というWEBサイトを立ち上げた、管理人の「こんなんさん」と申します。最初から”さん付け”をしたので、どうぞ「こんなんさん」と呼んでいただければ幸いです。
この場所では、わたしのように40〜50代で、更年期による心とからだのゆらぎや、
仕事、介護、子育て、そして夫婦関係など、さまざまなプレッシャーの中でうつ症状に悩む女性たちに向けて、体験談や記録を綴っていきます。
わたし自身、どちらも「完全には乗りこなせていない」真っ只中です。
でもだからこそ、揺れている気持ちや見えない痛みを言葉にして、記録していくことに意味があると思っています。
■すべての始まりは、不眠症から
最初に異変を感じたのは42歳の頃でした。
眠れなくなってしまったんです。
眠れないからお酒を飲む。
でも、飲んでも眠りが浅く、疲れがとれない。
日中の仕事に影響が出て、集中力も落ちて、仕事が終わらず、夜遅くまでダラダラ……
だけどやっぱり眠れないからまたお酒。
そんな悪循環のサイクルに、完全にハマってしまいました。
「これはもうまずい」──そう思って心の警報が鳴ったのがきっかけです。
当時は、仕事の増加、夫との不仲(のちに離婚)、コロナ禍と、生活の中にストレスの種がたくさんありました。
体調不良の原因を自分なりに調べてみると、どうやらホルモンバランスが関係しているのでは?と考えるようになり、
市販薬に頼る前に、漢方やプラセンタ注射ができるクリニックを探しました。
最初に訪れたのは内科。今思えば、婦人科の方が早かったのかもしれません。
採血の結果、医師から言われたのは衝撃の一言。
「60代の閉経後のホルモン量しかありませんよ」
えっ?わたし、まだ42歳なんですけど?
生理もあるんですけど?ちょっと太った気はしますけど……?
動揺しているわたしに、先生は続けました。
「通常、更年期治療は45歳からでないと保険適用にならないのですが、
このホルモン量なら、適用されます」
ありがたいやら、悲しいやら……。
この時から、わたしの更年期治療が本格的にスタートしました。
■「うつ病」と診断された日を、わたしは忘れられない
うつの症状がはっきり出たのは、46歳の春でした。
日付も、今でも鮮明に覚えています。4月26日。
とつぜん、どうしようもない不安感が押し寄せてきました。
希死念慮、不眠、動悸、そして身体がまったく動かない。
最初は「ひどい二日酔いかな?」と軽く考えたんです。
でも、やっぱり違う。
これは明らかに“いつもの自分”じゃない。
この時の感覚を言葉にするのはとても難しいのですが、
「自分じゃない“誰か”が、わたしの中の不安をどんどん大きくして、支配していくような感覚」でした。
それが巨大な脅威となってのしかかってきて、もう、どう乗り越えたらいいのか全くわからない。
しかもタイミングが悪く、ゴールデンウィーク直前。
病院も閉まっていて、友人も旅行中。
頼れるものも、買いに行く気力すらない。
そのときのわたしは、Amazonで「命の母」や動悸の薬、睡眠導入剤をとにかくポチるしかありませんでした。
薬が届くまでの2日間、とにかく「ここは安全、ここにいれば大丈夫」と自分に言い聞かせながら、どうにか乗り切りました。
けれど、今思えばその前から──
お風呂に入ると号泣してしまう、布団に入ると涙が止まらない、
そんな「サイン」は44歳頃からあったのだと思います。
■光が差した、6日後の「助け」
あの不安の中でも、ほんの少し、動悸がふっとおさまる瞬間がありました。
その瞬間を使って、お米を炊いたり、「今、生き延びるために何ができるか」を考え続けていました。
そのなかで、ふと「人って、弱っていても“生きる力”は残っているんだな」と思ったのを覚えています。
そして6日後。旅行から戻った友人が、パジャマ姿のわたしを見て言いました。
「青白くて、げっそりしてるじゃない…!」
彼女は、大量の飲むゼリーや甘いもの、すぐに食べられるものを差し入れてくれました。
その瞬間、「助けって、ありがたい」と、心の底から思いました。
■だから、わたしは記録することにしました
女性の更年期とうつ病って、なかなか口に出せる場所がありません。
だけどわたしは、仕事場の若いメンバー(20〜40代)にも、正直にこの話をしました。
「あなたたちにも、これから起こりうることかもしれない。
でも、今のうちから心と身体を丁寧にメンテナンスしていってほしい」
そんな気持ちを込めて。
こうした話を、もっとたくさんの女性と共有したい。
そう思ったときに、このWEBサイトを立ち上げる決心をしました。
できれば、ここを訪れた方が、自分の体験も話してくれるような場所になったらいいな。
そんな思いも込めています。
これからこの場所で、わたしの「見えない痛み」の記録を綴っていきます。
そして、いつかこの記録が、過去のわたしたちの道のりを眺められるものになりますように。
「困難な日も、こんなんな日も」
どうぞ、よろしくお願いします。
── こんなんさん
*「こんなんな日も」とは、「こんなん出た」、「こんなんいるー?」など、関西弁から取りました。ただ、管理人は関西人ではありません…。