母とわたしの二世代更年期体験〜同じ症状、違う時代〜

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母とわたしの二世代更年期体験〜同じ症状、違う時代〜

こんにちは、「困難な日も、こんなんな日も」の管理人、こんなんさんです。

ゴールデンウィークに実家に帰ってきました。久しぶりに母とのんびりお茶を飲みながらおしゃべりしてると、なんと73歳の母から衝撃の告白が!「あなたが高校生の頃、すごく大変だったのよ〜」

そう、母が更年期の真っ只中だったのは、わたしが制服姿で教室で居眠りしていた頃だったんですね。腕から汗がにじみ出るホットフラッシュ、急な気分の変化、そして誰にも言えない孤独…。現在47歳のわたしも更年期真っ只中。母の時代と今じゃ、世間の認識や医療環境、働き方もぜんぜん違うんだな〜と目から鱗でした。

今日は、母とわたし、30年離れた2つの世代の更年期体験についてお話ししたいと思います。「昔はこうだった」と「今はこう」、そして変わらないことって何だろう?親子で語り合った更年期あれこれ、お付き合いください。

■ 母が語る更年期体験—「誰にも言えなかった時代」

「子宮筋腫の治療が更年期の始まりだった」

「わたしが更年期キツかったのは、あなたが高校生の頃」

子宮筋腫の疑いがあり、それを小さくするために生理を止める薬を飲んでたんだそう。それが更年期症状のスイッチを入れちゃったそう。

「薬で生理を止めたら、体がおかしくなったの。急に暑くなったり、頭痛がしたり…何が起きてるのか自分でもわからなくて」

今なら「あ、これホルモンの変化だな」ってわかるけど、当時は「薬の副作用?」「年のせい?」って感じで、はっきりした理解がないまま症状と向き合ってたみたいです。

「銀行窓口で働く苦労—トイレにも行けない現実」

母は銀行の窓口係をしてました。お客さんを目の前にして、突然のホットフラッシュ!そんな状況、想像しただけでもツラい…。

「急に汗が噴き出してくるのに、窓口から離れられない。お客様の前でハンカチで汗を拭きながら対応するしかなかった。トイレに行きたくても、『すみません、ちょっと…』なんて言える雰囲気でもないし」

今なら「体調不良で」ってサッと休憩もらえるかもしれませんが、平成初期は「個人的な不調で仕事を中断」なんて考えられない風潮でした。。とくに銀行って堅い職場ですし、更年期なんて口が裂けても言えなかったんですって。

「男性には言えない、『ヒステリー』と誤解される恐怖」

家でも大変だったみたいです。男兄弟の中で育った父には、母の急な気分の変化が単なる「ヒステリー」としか見えなかったと。

「お父さんには『更年期』なんて言葉、言えなかったわよ。男性には恥ずかしい話題だったし、『あぁ、また始まった』って顔をされるのが怖くて」

一番近くにいる家族にさえ理解してもらえないって、症状そのものよりツラいですよね。それなのに母の世代は、それが「ふうつ」だと思って耐えてきたんそう。

「『命の母』が唯一の味方—医療ではなく民間療法」

医学的なサポートも限られていた時代、母が頼りにしていたのは「命の母」という漢方薬。CMで知って買ったそう。

「病院では子宮筋腫を診てもらっていたから、更年期そのものを診てもらうなんて発想がなかった時代。『命の母』のCMを見て『この症状当てはまる』って思って購入してみたの」

「女性なら我慢して乗り越えるもの」が当たり前の時代。更年期について婦人科で相談することすら、ハードルが高かったんでしょう。

■ わたしの更年期体験—「見えない痛み」と闘う現代の47歳

「まさか自分が、こんなに早く?」

わたしが更年期っぽい症状を感じ始めたのは42歳の頃。突然の寝汗、イライラ、集中力の低下…。最初は「疲れかな?」って思ってたけど、症状が続くうちに「ホルモンバランスがおかしいのかも」って気づきました。

ネットで症状を検索して「ペリメノポーズ(更年期前)」について知ったわたし。勇気を出して病院に行ってみたところ、閉経後のホルモン値しかありませんよと想像を超えた診断結果。

とはいえ、母の時代と違って情報はあるし、病院のハードルも低いけど、「まだ40代なのに」っていう驚きと戸惑いは大きかったです。

「薬を飲むという選択—母にはなかった選択肢」

プラセンタ注射、漢方から始まり、現在は婦人科でホルモン補充療法(HRT)を勧められて、迷った末に始めました。薬を飲み始めてから、ホットフラッシュが減って、睡眠の質も良くなった気がします。ただ、すべて薬にゆだね続けることには葛藤もあります。

■ 二つの世代、共通する悩みと異なる対処法

「理解されない辛さ—時代を超えて」

母と話して気づいたのは、更年期症状の「見えない痛み」による孤独感は、30年経っても変わってないってこと。

母は「女なら我慢して当たり前」という時代の中で孤独を感じ、わたしは「情報はあるのに実感として共有されない」という現代の孤独を感じてる。表面上は理解が進んだように見えても、実際の共感や配慮はまだまだ足りていない気もします。

特に職場では、母の時代は「口にすることすらタブー」だったのに対し、今は「言葉では理解されても実際の配慮は限られる」って感覚がまだあります。

「医療選択の変化—沈黙から対話へ」

一番変わったのは、医療との関わり方かも。母の時代は「更年期で病院?そんなの恥ずかしい」だったけど、今は「専門医に相談しましょう」が当たり前になってきてる。

医療技術の進歩と共に、女性の健康に対する認識も変わってきてるよね。母が経験した「我慢する時代」から、わたしたちの「医療との対話の時代」への移行は、少なくとも進歩だと思ってます。

「働き方の変化と新たな課題」

母は銀行窓口で対面接客、トイレにも行けない環境で更年期と闘ってた。リモートワークという新しい働き方も、更年期症状との付き合い方に影響してる。家で休憩しながら働けるのはいいけど、「見えない状態」で成果を出し続けるプレッシャーもある。

■ 「やっと共感できる人ができた」—母と娘の対話

母との更年期体験の共有は、新しい絆を生み出した気がする。母はわたしが更年期世代になって、やっと自分の体験を話せる相手ができたことを嬉しそうにしていました。

これまでタブーだった体験を、30年経て娘と共有できることが、母にとって大きな過去の解消になってるみたい。わたしも母の経験を知って「自分だけじゃない」って思えたし、何だか心強い。

わたしは、子どもがいないので、母と子育て体験を共有することはなかったけど、更年期という体験が、親子の対話のきっかけになって、新しい理解と絆を生み出した気がします。

■ 未来へ向けて—次の世代に伝えたいこと

「母から娘へ、世代を超えた対話の大切さ」

母との対話で、「更年期の体験を語り継ぐこと」の大切さを感じた。母は「当時、誰かから話を聞けてたら、もっと楽だったかも」って言ってた。

「若い女性たちには、もっとオープンに更年期について話していきたいな。『いつか来るかもしれないけど、怖がることじゃないよ』って伝えたい」

わたしたちの体験を次の世代に伝えることで、更年期に対する不安や孤独感が少しでも減るといいなって思う。

「社会への願い—理解から配慮へ」

母の時代から今へ、更年期に対する「理解」は進んだかも。でも次は「配慮」が必要だよね。とくに職場で、言葉での理解だけじゃなく、実際の働き方や評価にも配慮があるといいな。

「更年期だからって能力が落ちたわけじゃない。一時的な波があるだけで、ちょっとした配慮があれば、わたしたちはまだまだ社会に貢献できるんだよ」

働き盛りの40代、50代の女性たちが更年期症状でキャリアを諦めなくていい社会になってほしい。


おわりに:二つの世代、一つの願い

母とわたしの更年期体験、時代背景も医療環境も働き方も、表面上はぜんぜん違う。母は子宮筋腫の治療から更年期入りして、銀行窓口で「命の母」だけを頼りに耐えた時代。わたしはネットで情報を集めて、医療の選択肢を持ちながらも、認知機能の変化に悩む現代。

それでも、母と娘が更年期という体験を共有できて、世代を超えた対話ができるようになったことは、確かな一歩だと思う。「見えない痛み」を理解し合うコミュニケーションの大切さは、時代が変わっても変わらないと思いました。

更年期は終わりじゃなくて、人生の新しいステージの始まり。母が静かに耐え、わたしが模索しながら歩むこの道を、少しでも明るく照らせるように、これからも体験を共有していきたいです。

みなさんのご家族との間にも、こんな世代を超えた対話ってありますか?良かったら、コメント欄でシェアしてくださいね。

「困難な日も、こんなんな日も」

── こんなんさん

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管理人
47歳のアラフィフです。42歳で突然の更年期と46歳でうつのダブルパンチに見舞われ、今も心療内科と婦人科にお世話になってます。気づくとホットフラッシュで汗だく、物忘れで「あれ?何しようとしてたっけ?」の連発。体のあちこちの変化に「え〜?」と驚きながらも、なんとか日々を過ごしてます。サイト名は関西弁風だけど、実は関西人じゃありません(笑)。同じような「見えない不調」で悩む同世代の皆さんと、分かち合えたらいいなと思ってます。
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